割箸の問題

昼飯の弁当を眺めながら、積年の疑問を考えていた。それは「なぜ割箸を割るのだろうか」という問いである。簡単に見えて、奥の深い問題だ。「割箸だから割るのだ」などとトートロジーを並べて悦に入る浅薄な人間もいるが、それは思考停止に他ならず、知性の敗北以外なにものでもない。
割箸は使用時には必ず割られるものであり、また、2本の棒の組合せに特に重要な意味はない。合理的に考えるならば割られるための切れ目を入れておいてユーザーに割らせるのは無駄であり、最初から唯の2本の棒を用意すればよいのである。
割ることによる利点を考えたところ、使用前・使用後を明確に区別するためではなかろうかと思い至った。使い捨てられることを保証するためのシステムなのだ。生産の都合よりも使用者のための衛生を優先するとは良心的な業界だ。と、思ったのだが、使い捨ててもらわないと売れないわけで、結局は売るための工夫というわけだ。
以上は特に資料にあたったわけでなく私なりに思索した結果だが、それなりに理屈は通っているように思う。本当の理由を知りたいとは特に思わないが、ときにはどうでもいいことに疑問をもってみるのも一興であろう。
Document ID: 496e875e7be604d14ef6f0725c53b77e