目標と合理性

合理的という言葉を非人間的だとか杓子定規だとかといった意味で使う人がいる。 場合によっては結果的にそうなることもあるだろうが、本来は直行する概念のはずだ。 つまり、人間性や柔軟性は合理性と共存しうる。

辞書を引いてみると、「道理や論理に適っていること」等とある。 因果律に適った形で整理された状態が合理的な状態なのである。 望んだ状態があり、それに至る原因を発生させる行いは合理的な行動と云えよう。 例えば、義理のために金銭的な損失を負うとわかっていてなおそうなる行動を取るのは合理的な行動なのだ。 合理性は手段 (原因) に宿るものであって、目標 (結果) を評価するものではない。

逆にいえば合理的な行動を取るためには目標が必要だということでもある。 そして目標には正しいということも間違っているということもない。 ただの前提条件だ。 学問や科学が発展しようとも、コンピュータの演算能力が発展しようとも、それらは手段でしかあり得ないのだから、目標というのは個々人が「決める」しかないことだ。

合理的な答えを探そうと思ったら自分が本当に望んでいることは何なのかをまず考える必要があるというわけだ。 結局は哲学の問題に行き着いてしまう。

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