ギャグ漫画やアニメに作者自身が登場するのはよくある。 ゲームソフトでも、製作者自身ではなくとも、作品内に登場するゲーム製作現場にいるプログラマやディレクタが発言する愚痴めいた台詞は実際の製作者達の言葉でもあるだろう。 基本的にはちょっとしたお遊び要素だ。 ゲームには現実感も必要な一方で、現実を忘れさせる程度にのめり込ませる必要もある。 現実に引き戻されるような要素があまり多いと世界観を破綻させるし、白けさせてしまうだろう。

そういったゲームの外の世界をゲーム内でプレイヤに突き付ける例として極端なものに「スクウェアのトムソーヤ」がある。 敵がリセットボタンを押すという凶悪な攻撃をしてくるのだ。 次の瞬間にはタイトル画面に戻る。 結果としては即死攻撃でセーブポイントからやり直しでも同じなのだが「リセットボタン」という本来ならプレイヤが操作するしかない存在をゲーム内の存在が言及するというのはひどく理不尽であると感じる。 喩えて云えば、将棋で遊んでいるときにいきなり殴られるようなものだ。 プレイヤーに驚きを与える手段としては成功であっても、使い方を誤れば不快感になる。 メタフィクションに分類されるような作品では技巧の一種として取入れているが、扱いの難しい技術だと思う。

プレイヤー (読者) 自身に語り掛けるのではなく、作中作という形式をとるものもある。 私が見た中で特に凝っていると思ったのは「うみねこのなく頃に」である。 最初に殺人事件を描写するが、それは魔女と人間が戦うゲーム盤であることがあかされる。 そして魔女と人間の戦いは作家によって書かれた物語であることがわかり、その物語を読んでいる人物が登場する。 更に物語を読んでいる人物が小説内に描写されるという入れ子である。 つまり、四つの階層を持った物語なのである。

こういった作中作、メタフィクションの面白いところは物事を見る視点を入れ替えることで価値観を揺さぶられることだ。 プログラミングをしていると、自然に実装と外向きの API を分けて考えることがあるが、メタフィクションはそれに似ている。 物事を考えるのにはそれぞれのレイヤにおいて適切な視点というものがあるのだ。

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