品質

私は以前に勤めていた会社で品質管理の仕事をしていた。 そこで私が得た知見を大きく分ければ以下のみっつの要素で説明できる。 機械製品 (または部品) を製造する会社であったが、プログラムやサービスなどについても大まかな考え方は適用できるかもしれない。

予見不能

製品設計の各段階で各部門の担当者を集めてレビューする制度があった。 私も何度も参加したし、指摘することもあった。 しかし、実際に製造が始まってみるととうてい予想できないような問題が発覚するのだ。 複数の要因が絡まった奇跡的な問題が、意外に頻繁に起こったりする。 不可解でも実際に起こるものを起こってないと言い張るわけにもいかない。 事実として起こるのだから。

あるいは、工程に手作業があるとやはりたまには誤りもある。 その誤りがあまりに極端な場合もある。 後から追求する私の立場からは、作業者が急に発狂したとしか解釈しようのないような無茶苦茶なミスというのがあるのである。 それがベテランであっても。 人間というのは無茶苦茶なことをするものなのだという前提で考えなければならない。

要するに、起こりそうな問題を事前に網羅することはとうてい無理だということだ。

物量

事前に予見できない問題をどうやって抑えるのか。 起きた問題に対して改善していくのだ。 それを重ねていくことで品質は上がっていく。 つまり、たくさん作ってたくさん問題を経験することが品質に繋がるのである。 物量は品質なのだ。

これは大量生産品に限ったことではなく、職人技についても言える。 それを制度ではなく個人の技として蓄積していくことを除けばその性質は工業製品とかわりない。 もし工業製品の中にどうしても職人技が必要ならば、その職人が会社から、あるいは業界から離れないように動機 (常識的には充分な金銭) を与えること、次世代を育成することを制度化することで全体としての品質を維持できるだろう。

トレードオフ

問題は少しづつでも解決していけば良くなるが、両立し得ない要素というものがある。

わかりやすい例で言えば資金だ。 何をするにも金がかかる。 資金をかけずに何かをすることは出来ない。 たとえば問題が起きたときの対処に使う資金が充分に小さいならば、あるいは問題が起きる確率が充分に小さいと予測できるのならば問題を放置するというのもひとつの戦略である。 極論すれば隕石が致命的な箇所を貫いていくことだってあるかもしれないのだ。 しかし、地上で使われる機械について隕石への対処など俎上に上げることすら馬鹿馬鹿しいというのはわかるだろう。 ではどのあたりまで考慮すればいいのかというのは目標をどこにおくかということに左右される。

機械製品ではしばしば一箇所に負荷が集中するように、そこが壊れやすいように設計される。 いずれどこかが壊れるならば交換しやすい部品から壊れるようにという設計思想である。 その設計思想が成立するにはその機械の部品が供給され続ける体制を構築する資金とのトレードオフがある。

使い捨てを前提にするならなるべく全ての部品に均等に負荷がかかるようにして長持ちさせるような設計思想も間違いではない。 頻繁にモデルチェンジがあるような機械だったり、修理を受けられない場所で使われるような機械だったりという前提条件があるならば妥当な選択になりえる。

トレードオフの見極めには、前提条件となる目的が定まっていなければならないということだ。

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