価値観

自分の感覚とは全く異質で理解し難い物事に出逢うことがある。例えばカルト宗教が社会問題になったことがあるが、そのときの彼らの主張は荒唐無稽に見えたし、その荒唐無稽な主張をしている人の中には優秀な科学者もいたりするのは訳がわからなかった。何か思惑があってバカのフリをしてるんじゃないかとさえ思った。
彼らがテレビニュース等で取り上げられるたびに私の母はこんなことを言っていた。

頭のええ子がなんでこんなに狂てしまうんやろねぇ

これが普通の感想なのだろう。大多数の日本人にとってカルト宗教に身を投じて反社会的な行いをするのは「狂っている」としか考えられないのだ。私もかつてはそう思っていた。
だが、単純に狂っていると言えるものでは無いようだ。以下のマインドコントロールに関する文章が参考になる。
http://www.lava.net/~shiro/Private/essay/MindControl.html
簡単にまとめると、マインドコントロール下にある人の判断力・精神活動は正常であり、異質に見えるのは「前提となる価値観」をすり替えられているからだということだ。
意図的にマインドコントロールされてなくても違う文化同士であれば同じことだろう。共に正常な判断を下していても前提となる価値観が異なれば互いに理解できない場合があり得るのだ。
科学的事実でさえ解釈やモデルの違いがあるのだから、特に主観的要素が大きいものについては正しさを検証する以前に前提の違いを認識しなければいつまでたっても平行線である。大抵の物事は平行線で不都合はないのだが、一旦衝突したときに進展しないまま疲弊してうやむやに終わる不毛で馬鹿げた議論を見たりすることがあるともうちょっとどうにか出来たのではないかと思うわけだ。
逆にあからさまに道理の通らないことを「認識の違い」で押し通そうとする輩もいるのでその辺も油断出来ないけど。
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