理解を求める

私は「理解を求める」という言回しが気になっている。 これは相手を説得する場合に用いる言回しであるが、それはつまり「相手が賛成しないのは理解が不足しているからだ」という前提を置いていることになる。

しかし、利害が対立しているとき、つまり相手が損するときに理解を求めても仕方がない。 理解した結果として自分が損をするのであれば、賛成するわけがないのは当然のことだからだ。 逆にいえば理解を求める意味があるのは相手が同じ目標を持っているときに限られるといえる。

さて、こういう些細な言葉尻を取り上げるのは単なる揚げ足取りに思えるかもしれないが、立場の違いを認識せずに自分たちの主張に「理解を求める」のを繰返し、妥結に至らないのを相手のせいにするような例は実際によくみられる。

本来なら立場の違いは最初に前提としてあるもので、落とし所を探るのが交渉というものだ。 どちらかがもう一方に比べて間違っているなんてことはそうそうあるものではない。

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